2007(平成19)年 第一、第二文学部を文化構想学部、文学部に改組。
2004(平成14)年 国際教養学部を新設。
2003(平成15)年 スポーツ科学部を新設。
2001 新学生会館誕生
ワセダの自由な学生文化を発信する拠点で、世界的に見ても有数の規模を誇る新学生会館がオープンしました。
1998 江沢民主席が講演
中国の国家元首として初めて日本を公式訪問した江沢民主席が大隈講堂で講演しました。当日は小渕首相、有馬文相なども出席。
1994(平成6)年 大隈会館竣工。
1993 クリントン大統領来校
アメリカのクリントン大統領が大隈講堂でスピーチをしました。学生との質疑は終始なごやかな雰囲気でした。
1991 総合学術情報センター開館
創立100周年記念事業に建設されました。中央図書館と国際会議場からなり、学術情報の収集・提供・生産・発表をします。
1990(平成2)年 大隈ガーデンハウス竣工。
1981 「屋根の上のヴァイオリン弾き」
人気ミュージカル「屋根の上のヴァイオリン弾き」が大隈講堂で上演されました。森繁久弥氏が「早稲田がんばれ!」と絶叫し、当時入試問題漏洩事件など一連の不祥事で暗く沈んでいた母校を激励しました。
1974 マルタカ遺跡の発掘
1966年当時文学部学生の吉村作治氏の古代エジプト発掘に端を発し、1974年マルタカでエジプト発掘史上初の「採食階段」発見などの成果により日本の高い評価を得た。
1968頃 天地真理
高校生の時から早稲田大学のフォークソング部に所属していてジョーンバエズとか歌っていた。
1967(昭和42)年 理工学部51号館完成。
1965-1969 吉永小百合さん通学
(昭和40年~昭和45年)大学入学資格検定に全科目合格は出来ていなかったが早稲田大学に高卒と同等以上の学力があると認められ早稲田大学第二文学部西洋史学専修に入学。正規の4年間、しかも次席で卒業。
1962 ロバートケネディ来校
1962(昭和37年)安保闘争のさなか米国司法長官ロバートケネディが大隈講堂の学生討論会」に出席しました。
1957 ネール首相に名誉博士号
インドのネール首相が来校し、名誉博士号が送られました。
1956 ワセダ初の首相
1956(昭和31)12月、早稲田出身の石橋湛山は自民党総裁選挙で鳩山一郎の後任に選ばれ、内閣総理大臣に就任。ここに早稲田出身の初の首相が誕生しました。
「紺碧の空」誕生
1928 日本最初の金メダリスト
1928(昭和3)年のアムステルダム・オリンピックで、日本最初の金メダリストが早稲田からでました。3段飛びの小田幹雄です。
1922(大正11) 大隈重信死去(国民葬)。
1907 校歌制定
大隈は70歳になり、政党に別れを告げ、教育と文化事業に専念する決意を固め、早稲田大学初代総長に就任しました。この年、校歌が制定されました。
1905(明治38)年 野球部第一回アメリカ遠征。
1903 早慶戦開始
母校の名誉にかけて死闘を尽くす早慶ナインと、それに応える応援の華やかさはすごいです。早慶戦を経て真の早大生になるといわれています。
1886 講義録発行
「講義録」を発行し、校外生制度(通信教育)を発足しました。これは昭和32年まで続き、のべ200万人が購読しています。ここから津田左右吉、田中穂積などを輩出しており、現在の社会人教育の先駆けともなるものです。
1882 東京専門学校開校
自由民権運動が激しさを増す1881年、「明治14年の政変」により突如中央政界を追われ、下野することになりました。かねてから念願であった「学問の独立」を標榜する学校を創立。ただし、反政府の風評から学生を守るため、大隈は開校式には姿を見せませんでした。